この写真は平成6年、鎭子さんが東京都文化賞を受賞したときに撮影されたもの。「鎭子さんと『暮しの手帖』を励ます会」として当時の仲間たちがお祝いのパーティーを開いた、その幹事たちの顔ぶれです。鎭子さんは緊張と喜びが混ざったような顔をしています。
「女性のための雑誌をつくりたい」と出発した『暮しの手帖』は、願いどおり多くの女性たちに読まれ、役立ってきたと思います。しかし同時に同じ時代を生きた女性たちに見守られ、支えられて成長してきたのではないでしょうか。
写真の中のひとり、ラジオパーソナリティーとして活躍してきた秋山ちえ子さんもずっと『暮しの手帖』を気にかけてくださったおひとりでした。新しい号が出るとすぐに手紙や電話で感想を知らせてくださり、それはつい最近まで続いていたのです。励ましも苦言も、鎭子さんや編集部にとってはありがたいことでした。
その秋山さんが「一生の仕事」としてラジオで続けてこられたのが、終戦記念日8月15日の『かわいそうな ぞう』の朗読です。
『かわいそうな ぞう』は第2次世界大戦中に殺処分となった上野動物園の3頭の象について小学生向けに書かれた話です。なぜ朗読を続けたのか、その理由は著書『風の流れに添って』(講談社)に記した一文にあらわれているように思います。
「人間の世界から戦争をなくすことはできないかもしれないが、心ある人々が、たえ間なく、戦争でない方法で国際間のもめ事を解決すべきだと言い続けなければならないと私は思っている」。
秋山さんの、親しみやすくそして厳しくもある声と語り口調は、ぞうたちのことを伝えるのにぴったりでした。秋山さんご自身もそれをわかっておいでで自分の仕事として選ばれたのではないかと想像します。
朗読がスタートしたと同じ昭和42年、『暮しの手帖』でもひとつのプロジェクトが立ち上がります。読者の方に「戦争中の暮しの記憶」の原稿を募ったのです。そして翌43年には集まった1736篇の手記をもとに1冊丸ごと特集を組みました。
後年『かわいそうな ぞう』の話は、内容に事実と異なる記述があることがわかり、それについてのドキュメンタリー番組が放送され、新たな絵本も登場して話題を呼びました。こうして後世の人たちが関心を持ち続けることこそが秋山さんの仕事の成果であり、秋山さんが望んでいたことだったのではないでしょうか。
昨年まで49年間ラジオから流れてきた朗読は今年はどうなるでしょう。あの声を耳にしたいな、と思います。
(田中真理子 文)