『暮しの手帖』で「日本紀行」がスタートした昭和38年は、石井好子さんのエッセイ集『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』が誕生した年でもありました。当時のバックナンバーを見ると花森さんが書いたであろう紹介文が載っています。
「石井好子さんの書いたとてもおいしい本です。読んでいて文章があまりにおいしいので、よだれがでそうになります。そしてなんだかおかしくなって吹きだしたくなったりします。ふしぎなほどたのしい食べ物の本です」。当時の『暮しの手帖』は定価190円、『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』の初版は350円でした。それから53年、価格こそ変わったもののこの本は一度も絶版になることなく増刷を続け現在48刷を重ねています。
バタをたっぷり使った熱々のオムレツ、薄い鍋でおこげがうっすらできるように炊いたごはん、庶民に愛される「貧乏人のアスパラガス」こと長ネギのサラダ。このエッセイ集の魅力が石井さんがパリ暮しのなかで覚えたたくさんのレシピであることは間違いありません。でもそれと等しく読後に残るのは、「自分で立とう」と生きる石井さんの姿です。戦後間もないアウェイで歌手として働くだけでなく好奇心いっぱいに毎日を楽しもうとするしなやかさ、強さ。それが音楽をなりわいとする人ならではのここちよいリズムの文章に乗って伝わってくるのです。失礼かもしれませんが今読んでもカッコいい!
『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』はその年のエッセイストクラブ賞を受賞、石井さんはシャンソン歌手としてだけでなく、エッセイストとして知られるようになります。
石井さんは大正11年生まれ、鎭子さんは大正9年生まれ。偶然住まいが近く、同じ府立第六高等女学校に通う先輩・後輩の関係でしたが、最初はバスで挨拶を交わす程度の関係だったそう。それが編集者とエッセイストとして共に仕事をするようになる経緯については、鎭子さんの著書『「暮しの手帖」とわたし』に石井さんが寄稿してくださった序文に詳しく紹介されています。ぜひお読みいただければと思います。
石井さんは大臣や衆院議長を務めた父を持つ名家の出身。結婚し離婚も経験し、さらにパリ帰りの歌手とあっては編集者として”欲しい”人だったに違いありません。しかしそれ以上にふたりを結びつけたのはそれぞれがそれぞれの場所で自分で立とうとしていたその生き様への共感だったのではないでしょうか。
石井さんが亡くなってもうすぐ七回忌、石井さんが日本に根づかせたシャンソンのイベント「パリ祭」は今年も7月9日から全国各地で開催されます。http://www.paris-sai.com
(田中真理子 文)