NHKのテレビ小説「とと姉ちゃん」で出演者たちがおいしそうにホットケーキを食べるシーンを見て、どんな味かな? と想像をふくらませた方は多いと思います。私もそのひとり。実際「暮しの手帖」に紹介されたレシピを見たいと当時のバックナンバーを探すうち、今の季節にはホットケーキより魅力的な料理にひっかかってしまいました。
昭和27年の初夏号(16号)に掲載された「料理店にまけないカレーライス」です。記事を読むうちに鎭子さんはじめ三姉妹がカレーが大好きだったこと、大橋家のカレーがこのレシピをもとにしていたこと、そして鎭子さんが「志賀直哉さんもこの記事を見てご自身で作り、『おいしくできた。「暮しの手帖」は役に立つ』と周囲の方に宣伝してくださった」と嬉しそうに話していたことを思い出しました。料理写真の手モデルは鎭子さんに違いありません。
「今夜のカレーはこのレシピで作りたい」。自然と私はそんな気持ちになっていきました。
「とと姉ちゃん」で触れられているように、このカレーのページも「身近な材料を使い、誰でも作れるように」とてもていねいに解説されています。しかしそれゆえ文章が、長い。
例えば小麦粉とバターを混ぜるのに使うのは「使いふるして少し先のへった、ご飯しゃもじ」。ルーを作るプロセスは最初だけでも「粉とアブラがまじって水にぬれた粘土のようになってきます。それをしゃもじで、押すようにして、かきまぜてゆきますと、こんどはバサバサに、ちょうどお豆腐のおからのようなってきます。なおなお力を入れて丹念に押しつけるようにまぜてゆきます。とても時間をくい、手首もだるく…」。すべての行程がこの調子で慣れないとちょっとたいへんです。
当時の人は文章を読むのが苦ではなかったのだなあ、自分はツイッターなどの短い文章に慣らされてしまったのだなあ、と思い知らされました。昭和初期、カレーはすでにデパートの食堂の人気メニューで、家庭でも作られていたようです。でも、具材を煮て、柔らかくなったらカレー粉と小麦粉を水で溶いて加えるタイプ。木ベラも当時の家庭では一般的ではなかったのでしょう。
また分量表示は匁(もんめ)、カレー粉の計量は茶さじなので、今の私にはひとつずつ計算しなおす必要があります。しかしなにより驚いたのは「カツオでとっただし」を使うこと。味の想像がつかず半信半疑でしたが意外といけることにまだびっくり。あれこれ考えながらでしたので少し時間はかかりましたが、65年の時を超え、おいしいカレーがちゃんと完成。なんだか夏休みの研究の宿題をこなしているようで楽しかったのでした。
レシピの監修は千葉千代吉さん。戦前お茶の水にあったハイカラな「文化アパートメント」やドイツ料理の名店「ラインランド」の料理長を勤めた方です。昭和20年代~30年代の「暮しの手帖」で毎号のように西洋料理の作り方を紹介くださっただけでなく、勇退後は長らく編集部のキッチンで編集部員のための夕食をこしらえてくださっていました。ぜいたくな、でも暮しを大事にしていた会社ならではのエピソードですが、キッチン森田屋の宗吉さんも今後そうなるのかもしれませんね。
(田中真理子 文)